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2018.2.18 「谷中書生カフェ」 撮影者:ねぎぽん
2018.2.18 「谷中書生カフェ」 撮影者:ねぎぽん

病気と健康の「間」で

「学ぶ」をデザインする

  「Rs’ Ink.」は「学ぶ」をデザインします。

個人と組織の学びを促進させることを目指します。


「Rs' Ink.」は活動の場を病気と健康の「間」に求めます。

病気の経験にこそクリティカルな学びの本質があると考えるからです。

治癒とは最良の学習である

 

治癒の経験のもつ可能性を学びの糧として最大限活用したい。

 

病気の経験、大きな病気の困難を乗り越えてきた治癒の経験は学習の素材としてとても魅力的です。自己変容の学習という視点から見ることで、治癒の経験は他に得難い貴重な学習のヒントを提供してくれます。その理由を抽出すれば大きく3点あります。

 

1.学びなおしが起こる

2.経験の組みなおしが起こる

3.身体の見なおしが起こる



1.学びなおしが起こる

 

「学びなおし」は教育学的に言えば「学習棄却」(アンラーニング)と言います。成人の学習において、もっとも困難だと言われるのが、この「学びなおし」です。

 

「過去の成功体験が最大の落とし穴になる」とは、どこかで耳にしたことがあるでしょう。一度学んでしまった常識を手放すことほど難しいこともありません。しかし、手放さないかぎりは、新たに学ぶこともできません。変化に対応することも不可能です。

 

その点、大きな病気を経験した人は、否応なく「学びなおし」に迫られます。当たり前にできていたことができなくなり、周囲環境の変化に強制的にまきこまれます。だから、病気を経験して、そこから治癒した人には、大なり小なり、激変した環境に適応してきた経験があります。

 

それは変化への適応が第一に求められる現代の学習に大きな示唆を与えるものではないでしょうか。



2.経験の組みなおしが起きる

 

子どもの学習と成人の学習には本質的な差異があります。子どもの学習は新しいことを次々と吸収して自分のものにしていく学習です。それに対して、成人の学習は既に身に着けた知識やスキルを周囲環境の変化に適応させて組みなおしていくことにあります。

 

「学びなおし」のできない人は一度身に着けてしまった知識やスキルを硬直的にしか扱えない人です。だから、環境の変化に対応できません。

 

それに対して、「学びなおし」のできる人は、環境が変化しても、経験を縛っている結び目を緩めて、変化した状況に適合できるように結びなおしていくことができます。経験の再構成、すなわち「組みなおし」です。それこそイノベーションにとって最も重要な萌芽です。

 

病気を経験してきた人は、病気という究極的な出来事を通して、自身の経験を見つめなおし、新たに組みなおすことをしてきた人でもあります。病気をする前とした後で、自分のしてきた仕事の意味がガラッと変わったという人も少なくありません。

 

学びなおしが手放すことなら、組みなおしは新たに生み出すことです。治癒の経験はきわめてイノベーティブな知恵なのです。



3.身体の見なおしが起こる

 

学習は知的・精神的な営みだと考えられがちです。しかし、本質的に学習は身体的な営みです。本を読むだけでも、見つめる目、本を支える腕、ページをめくる指、立って読むか、座って読むか、身体という座がなければ成立しません。 働くことならなおさら、座学だけでは習熟できず、実際に体を動かして働いてみなければ、なにひとつとして学ぶことはできません。

 

日常のわたしたちは身体の存在を忘れてしまいがちです。まるでなかったものであるかのように、透明なものであるかのように、扱ってしまいます。 でも、病気に倒れたとき、気にかけてこなかった身体の重要さに気づかされます。意識してこなかった、無意識のままに置き去りにしてきた、身体の見なおしに迫られます。

 

病気の経験をしてきた人は、自分の身体とずっと向きあってきた経験をもつ人です。決して思うようにはならず、しかし、存在しなければ生きていくことのできない身体。長く身体と対話してきたスペシャリストの知恵は健康な人にとっても価値あるもののはずです。

2017.4.2 「お花見クラウニング」 撮影者:ねぎぽん
2017.4.2 「お花見クラウニング」 撮影者:ねぎぽん

キャリアとしての病

 

病気の経験というネガティブな記憶を健康な人にも学ぶに値するポジティブな資源としてリフレーミングすること、あるいは、名づけなおすことを「Rs’ Ink.」は模索します。 一言でいえば、キャリアとしての病の価値の模索です。

 

一般的にキャリアデザインの文脈では「やりたいこと」「夢」「ミッション」といったキラキラした言葉が踊ります。でも、人生、そんなキラキラしたことばかりではありません。苦しいことや予想外のことも多々起こります。病気とか天災とか。そこで「思いもよらないネガティブな出来事が起こりえることも含めて自分のキャリアを考えてみませんか」と問いかけてみたいのです。

 

その問いかけは現在を生きるわたしたちにアクチュアルなものだと考えています。

 

現在は非常に変化の激しい時代です。昨日の常識が明日の時代遅れへと急激に変化していく時代です。そのような時代の学びは、きょう手にしていたものを未練なく投げ捨てて、明日を生きる知恵を生みだしていくものでなければなりません。

 

それは非常に困難なことですし、手放すことは痛みや苦しみを覚えることでもあります。

 

「折れない心のもち方」や「深い傷から回復する力」や「ピンチをチャンスに変える発想力」といったテーマについて書かれた書籍はいつだって本屋やキヨスクの書棚をいっぱいにしています。ということは、健康な人にもそれだけ興味のあるトピックということです。

 

 

そうであるならば、逆境を生きてきた先輩として、逆境を生き抜く達人として、病気を経験してきた人の経験に学ぶことには価値があるのではないでしょうか。彼ら/彼女らほど身近なモデルはいないはずです。

2017.3.25 「r-dialogue」 撮影者:ねぎぽん
2017.3.25 「r-dialogue」 撮影者:ねぎぽん

「間」という課題

「Rs’ Ink.」の活動目的はあくまでも学習ですが、病気と健康の「間」というテーマが、社会的な課題(ソーシャルイシュー)に関わるものであることとも認識しています。



「病気」というテーマを考えたとき、現に病気の人をケアする活動は数多く存在します。医師や看護師といった医療の専門職はその最たるものです。いま「病気」をしている方へのケアであれば、やはり専門職にお任せするべきでしょう。

 

でも、入院をしたり、治療を受けたり、医療の世話になる時間はごく限られた時間です。医療を受ける、その前と、その後、医療と関わらない時間の方が、人生のなかでは圧倒的に長いものです。

 

病気から抜け出して健康な人たちの暮らす世界へと帰っていく、ここが病気と健康の「間」です。




実は、この「間」にこそ大きな問題が潜んでいます。

 

病気だった人が健康な人の世界へともどっていくとき、その過程で様々な葛藤が生まれてきます。そのとき葛藤をフォローできる専門家は実は存在しません。

 

なぜなら、病気が「治って」しまえば医療の対象ではなくなってしまうからです。医療から離れてしまえば医療者にできることはとても限られてしまいます。

 

病気でいる間は適切な支援を届けるシステムがありますが、病気でなくなってしまえば孤独な戦いを強いられます。若年世代、勤労世代の病気は、ふたたび働く生活が待っていますが、その困難をフォローしてくれる専門職は誰もいないのです。

 

これが病気と健康の「間」にある社会的な課題です。

 

 

カバーできる専門職のない「間」の葛藤を解消するための近道はなかなかありません。互いに互いを学ぶことの地道な積み重ねだけが状況を打開するとしか、今は言えないでしょう。だからこそ、わたしたちは病気と健康の「間」での対話が必要だと考えます。

 

「Rs’ Ink.」が提供するものは学びの場づくりですが、学びの場を通して、病気の人の経験が健康な人に伝わることを願います。そうすることで、病気の経験をした人の葛藤が少しずつでも解消されていくことを願います。




病気の経験をした人が健康な人に対して積極的に価値を提供していく関係づくりも必要だとも考えています。病気の人の経験に耳を傾けることが健康な人にとってもプラスになると感じられるように。

 

そのためにも、プレイフルな学びのデザインは必須だと考えています。

 

病気の経験の話を聞くことが健康な人にとってそのままでインセンティブにはならないことは事実です。病気と言えばやっぱりどこか重く苦しいものに感じられてしまう。あまり気が乗らない。気が進まない。

 

だからこそ、病気の経験に学ぶことが「楽しそう」「おもしろそう」と感じてもらえることは大切です。

 

「楽しい」「おもしろい」という経験を重ねていたら、いつの間にか健康と病気の「間」が埋まっていた。そういう出来事を作りたいと願います。